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木村庄之助 (33代) : ウィキペディア日本語版
木村庄之助 (33代)[きむら しょうのすけ]
33代 木村 庄之助(きむら しょうのすけ、本名:野澤 要一(のざわ よういち)、1942年3月28日 - )は、大相撲立行司の一人。木村庄之助としての在位期間は2006年4月2007年3月高砂部屋所属。
== 人物 ==
青森県八戸市出身。
師匠は元三役格行司4代木村誠道(2代木村朝之助)である。
初土俵は1955年5月場所。同期生は30代庄之助31代庄之助32代庄之助の合わせて4人で、全員が立行司の最高峰、木村庄之助に昇進したことになる。
初土俵で木村要之助を名のり、その後、式守要之助、木村要之助、木村政裕、木村要之助、木村賢嘉、木村友一と改名。十両格昇進と同時に、高砂部屋代々の名跡3代木村朝之助を襲名した。
2006年1月場所限りで立行司32代木村庄之助、34代式守伊之助、三役格木村一童と3人の行司が引退した。34代伊之助定年後の2006年2月10日に35代式守伊之助を襲名し、5月場所の番付が発表される4月24日付で33代木村庄之助を襲名した。
伊之助時代の結びの顔触れ言上は「番数も取り……進みましたる所」というやや変則的な言い方であったが、庄之助襲名後は標準的になった。
時間いっぱいでの立ち合い前は、「両者まったなしっ!」。立ち合い後は「はっきよーい!のこ~ったっのこ~ったっのこったぁっ!」
34代木村庄之助と同じく、「はっきょい!」を言わない時代が長かったが、行司生活の晩年には言うようになった。
2007年3月場所千秋楽を最後に停年を迎えた。最後の一番は横綱朝青龍-大関千代大海(現佐ノ山)戦を裁いた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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